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【野球】三冠王を阻んだ男・超難問集(1)



日本プロ野球史上、首位打者・本塁打王・打点王の打撃三冠は7人(延べ11回)が記録しておりますが、一冠を逃して二冠王に終わった選手はどれほど居るかというと・・・プロ野球創設年の1936年秋に、古谷倉之助選手(金鯱)が打率2位に終わって三冠を逃したのをはじめ、一リーグ時代だけでも6人が7回記録したのをはじめ、セ・リーグ20人(37回)、パ・リーグ21人(31回)の二冠王がもありました。(2007年まで、ただし一リーグ時代の二冠王6人のうち、4人はセ・リーグ、パ・リーグいずれかで記録しているため、「二冠王」の人数は43人になります。)※写真は2006年のパ・リーグ二冠王となった小笠原道大選手(当時日本ハム)。


問題:1
現ソフトバンク監督の王貞治選手(映像は756号達成時)は、三冠王にも2度(1973年・74年)輝いておりますが、首位打者又は打点王を逃して二冠に終わたケースは何と13回もありました。(本塁打王を逃して二冠に終わったことはない。)そのうち、首位打者を逃して二冠に終わったのは8回ありましたが、打率2位で首位打者を逃したのは2回、しかも2年連続で同じ打者に首位打者を獲られて三冠を逃しましたが、二年連続で王選手の三冠を阻んで首位打者になった選手とは、次の(1)~(4)のうち、誰でしょうか?

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問題:2
パ・リーグでは野村克也現楽天監督(写真・南海)が5回にわたって二冠に終わっておりますが、いずれも首位打者を逃しており、打率2位で三冠を逃したことも一度もありませんでした。こちらも、1962年・63年に二年連続して同じ選手に首位打者を獲られて三冠を逃しておりますが、この2年いずれも首位打者になった選手は次の(1)~(4)のうち、誰でしょうか?


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問題:3
イチロー選手(映像)はオリックス時代1995年に首位打者、打点王(タイ)、さらに盗塁王を獲得しましたが、本塁打王は3本差の3位に終わって三冠を逃しましたが、この年パ・リーグの本塁打王を獲得したのは次の(1)~(4)のうち、誰でしょうか?

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問題:4
西鉄ライオンズで活躍した中西太選手は、4度二冠王になっておりますが、4回が4回とも、残る一冠を僅差の2位で逃しました。1953年には打率が4厘差、55年は1打点差、56年は打率わずか4毛差、58年は1打点差といずれも惜しい差で三冠を逃し続けましたが、1956年に中西選手と4毛で首位打者になり、三冠を阻止した選手とは次の(1)~(4)のうち、誰でしょうか?(写真左=監督兼任時代、右は故稲尾和久投手。)


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問題:5
パ・リーグで三冠王を3回獲得した落合博満現中日監督(映像)は、セ・リーグ移籍後に本塁打王・打点王の二冠に輝きながら、打率13位で三冠を逃したことがありました。この年のセ・リーグ首位打者は次の(1)~(4)のうち、誰でしょうか?

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問題:6
今から50年前、新人長嶋茂雄選手は本塁打王・打点王の二冠を獲得しましたが、打率は.305の2位に終わり、新人三冠王はなりませんでした。この年、.320で首位打者を獲得したのは次の(1)~(4)のうち、誰でしょうか?

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問題:7
本塁打王を逃した二冠王は少なく、史上9人(1960年以後に限れば5人)しかおりません。うち一人は1984年に三冠王を獲得したブーマー選手ですが、1989年に首位打者・打点王を獲得しながら、9本差の2位で本塁打王を逃しました。この年のパ・リーグ本塁打王は次の(1)~(4)のうち、誰でしょうか?(映像はその年の近鉄戦で吉井理人投手にエキサイトするブーマー選手。)

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問題:8
引き続き、本塁打王を逃した二冠王についての問題ですが、1999年にロバート・ローズ選手(横浜)は打率.369、打点153とどちらもハイレベルな成績で2冠を獲得し、本塁打も自己最多の37本を記録しましたが、3位に終わりました。この年のセ・リーグの本塁打王を獲得したのは次の(1)~(4)のうち、誰でしょうか?


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問題:9
松中信彦選手(ソフトバンク)は204年に三冠王を獲得。翌2005年にも本塁打・打点の二冠を獲得しましたが、打率は.315で7厘差の3位に終わり、2年連続三冠王はなりませんでした。この年のパ・リーグの首位打者は次の(1)~(4)のうち、誰でしょうか?

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問題:10
打点王を逃して三冠を逃す、というケースは非常に少なく、パ・リーグでは1958年の中西太選手を最後に50年間誰もおらず、セ・リーグでも1968年~70年の王貞治選手の後は、1992年のJ.ハウエル選手(ヤクルト)のみしかおりません。1992年に、87打点に終わったハウエル選手を差し置いて、打点王を獲得した選手は次の(1)~(4)のうち、誰でしょうか?(映像は同年日本シリーズ第5戦でのハウエル選手の本塁打。)

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